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高野町史 『今日は何の日?』・・・6月編

6月1日(明治44年) 高根尋常小学校校舎改築落成式。高野村長平田永吉、分署より岩田巡査、高野山小学校長増井與之助等参列。工費1872円。
6月2日(昭和10年) 西細川小では水桶の件、山の下から取ることとする。代金13円。
6月3日(昭和32年) 日活で「高野聖」を映画化。滝沢監督一行が高野山登山。
6月4日(昭和31年) 高野山で「鶴八幡次郎」の松竹ロケ。淡島千景等60名登山。
6月5日(昭和19年) 生産増強・戦力増強のため、富貴小初5以上は農繁休業。
6月6日(昭和18年) 和歌山県下の産婆、看護婦会員300余名が高野山に登山。大師講本部で錬成会を開催。
6月7日(大正11年) 日高川水力電気株式会社高野山水電は事業拡張のため、不動川の水力を使用することが、県知事より認可される。
6月8日(明治39年) 町家総代14名を招集。山規は不文律にすると通達がある。
6月9日(明治5年) 初めて管長を置く。真言宗は高野山・東寺・智山・豊山の一宗一団となる。
6月10日(明治31年) 天野丹生神社境内において花坂・新城・志賀・三谷・古沢・天野の6小学校生徒の連合大運動会を挙行。
6月11日(昭和8年) 高野山保育園の落慶祝賀会。
6月12日(昭和27年) 大滝小で録音放送を朝から行う。滝の音も収録。
6月13日(大正2年) 高野街道の九度山~女人堂の改修事業が終了。
6月14日(昭和12年) 大阪陸軍病院附衛生兵105名が高野山登山。
6月15日(昭和7年) 富貴小運動場隣地の鉾杉群に腰掛約20脚設置。森の学校を設置。
6月16日(明治40年) 高野山では樺太布教のため、大隈伯に賛助を求める。
6月17日(昭和6年) 高野山大学新校舎建設のため、土地の豆腐屋、味噌屋等の民家へ、学友会が整理促進の示威運動を行う。
6月18日(大正12年) 高根義勇隊発会式。
6月19日(明治43年) 富貴索道会社の澤山江氏が富貴索道(大和索道)の許可を和歌山県に申請。
6月20日(昭和13年) 相ノ浦少年団を組織。
6月21日(大正10年) 高野山上に大スケート場をと、和歌山水力電気株式会社及び高野大師鉄道株式会社の共同事業で計画。
6月22日(大正15年) 伊都郡高野村立杖ヶ薮青年訓練所が設置認可される。
6月23日(昭和9年) 富貴少年少女団が美化修路奉仕作業を行う。
6月24日(昭和3年) 昨夜からの豪雨。鶯谷開墾地で土砂の崩壊、東小田原御殿川辺りは泥水で石垣が崩れ、西郷で岩崩れ、神谷の小屋3棟崩壊。
6月25日(大正5年) 高野山の中央千手院谷の天神の大祭。余興に花相撲。
6月26日(昭和11年) 日本一の大灯籠が南海電車創立50周年記念として寄進される。
6月27日(大正10年) 株主総会により、高野山電灯料金が値下げされる。
6月28日(昭和17年) 富貴村民の寄付を仰いで映写機一台及び幕を購入。
6月29日(昭和5年) 極楽橋から高野山間のケーブルカー、営業開始。
6月30日(大正14年) 自動車と7人曳きの人力車を乗り継ぎ、九度山から高野山までわずか50分で紅班ラスト選手の北村兼子が登山。
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