8月1日(昭和9年) |
高野裏参道にいよいよ乗合自動車が走る。橋本駅~高野の東部観光林道を通じて中の橋に至る道。上り1円。下り80銭。 |
8月2日(昭和19年) |
堺・高田アルミ工場へ学徒動員する4・5年生の壮行会が高野山図書館前広場で行われる。 |
8月3日(明治43年) |
大和索道架設許可。 |
8月4日(大正4年) |
野迫川~辻の茶屋までの索道起工式。 |
8月5日(昭和15年) |
西細川小で満州移民映画会。 |
8月6日(昭和24年) |
町制実施20周年記念式典が高野山小学校講堂において挙行。 |
8月7日(昭和14年) |
高野山で大阪毎日新聞社子供会「子供会の夕」開催。 |
8月8日(昭和14年) |
大陸進出分村10ケ村指定される。和歌山県下は高野町、花園村など。 |
8月9日(明治42年) |
高野山で出火。徳善院、小学校仮教室、民家14を焼く。この火災により金剛峯寺と学林間を南北に走っていた通称「阿弥陀ケ峯」道閉鎖。 |
8月10日(昭和20年) |
松根油増産用古釘が西細川小児童より145本森林組合へ供出される。 |
8月11日(昭和14年) |
大塔で大阪毎日新聞社の世界一周大飛行「ニッポン」号の成功祈願。 |
8月12日(明治42年) |
花坂・高根・白藤各小は農業補習学校の設置申請。 |
8月13日(大正5年) |
高根小に角力場及び固定円木設備。 |
8月14日(明治12年) |
山城国の菅野いちのさんが当時21才で白装束・馬にまたがり高野山に登山。女性永住者の第一号。 |
8月15日(昭和8年) |
高野山駅~女人堂間のバスが開通。運賃は片道15銭、往復25銭。 |
8月16日(大正7年) |
黒板勝美、荻野仲三郎など古文書調査の博士一行登山。 |
8月17日(昭和25年) |
全国レクレーション大会を高野山で開催。 |
8月18日(昭和22年) |
早朝地震。杖ヶ薮小玄関屋上一部大破墜落。 |
8月19日(昭和8年) |
ホトトギス派俳人、アララギ派歌人らが高野山の和田不可得(和田性海)先生を訪ね正岡子規を偲ぶ小会を開く。 |
8月20日(昭和14年) |
豊太閤と高野山を主題とした映画「怒濤時代」が片岡知恵蔵、板東妻三郎等日活スター登山して撮影着手。 |
8月21日(昭和18年) |
金剛峯寺が滑空機を贈る。 |
8月22日(昭和24年) |
相ノ浦観音堂、大師堂が移動し、大師堂移転の後へ校舎建築敷地が完成。 |
8月23日(明治22年) |
相ノ浦字前川橋流失。 |
8月24日(昭和13年) |
東京相撲力士150名が登山。月末まで高野山で稽古。 |
8月25日(大正9年) |
南方熊楠氏の登山を聞いた高野山は熊楠氏に講演を依頼。夕方大師教会で酔っぱらいの熊楠氏が講演。 |
8月26日(昭和3年) |
高野山唯一の女医花谷保枝氏は一昨年より鶯谷入口に花谷医院を開設したが、突然脳溢血で逝去。享年48歳。 |
8月27日(昭和5年) |
高野山の車夫達が人力車制限緩和を陳情。 |
8月28日(大正9年) |
神谷字細谷において高野山水力電気発電所建設工事の地鎮祭。 |
8月29日(明治40年) |
花坂の山林50町歩に杉金亀子(コガネムシ)が発生。損害約1500円。 |
8月30日(明治29年) |
暴風雨。高野山276.4ミリ、富貴217.1ミリ。 |
8月31日(明治33年) |
富貴村農会設立認可。 |